信念 (1/2回目)
何回かスポーツ(部活)関連の話をこのマック通信でも伝えた事があるが、
なぜ伝えるのかは、そこには「道徳」「方針」「継続」と我々社会人にも通じる、
いやもっと言えば、我々にこそ必須な、心の在り方があるからに他ならない。
決してスポーツが好きだとか、興味があるからだとか、そんな単純な事ではない。
私が社会人になってから約30年。
採用する側も採用される側も価値観が大きく変わり、
降る方が易く、昇る方は難い。
この意味は、楽な方に行くのは簡単なのだが、
厳しさを超えるのは難しく困難な事だと言う事。
しかし、先々の結果を見れば、
どちらが正しい事なのかは理屈でも現実でも誰もが分かっている事であり、
正しい事には「継続性」が、間違った事はいずれ「淘汰、消滅」する運命にある。
但し、往々にして勘違いするのは、間違った事でも、
間違った事ではないとする「心の在り方」が問題であり、
心の在り方を正常にみれる眼が「道徳」なのだと思う。
この道徳も心に余裕が無ければ機能しなくなり、
どのような時にも正常に機能させるには「信念」が必要になる。
今回は、信念を変えず曲げず図らずに貫いた指導者の話をしたい。
以前にも書いた内容と一部重複する事をお許し願いたい。
さいたま市西区にある私立中学/高校にその部活動が存在する。
今年で40年周年と部の歴史も長いが、
この40年には携わった方々しか知らない物語がある。
この部は、前監督が創設し、創部数年で全国レベルに押し上げ、
日本一にした事もある、昭和の偉大な名物監督だと聞く。
青森出身の私が高校生の頃のこのスポーツは、
現在高校野球でも有名な光星学院が全盛の頃で
全国では抜きん出ていたから青森県内でも人気があり、
柔道上がりや腕力に自信のある同級生も何人かは入部した。
しかし時代は「昭和」、その練習は過酷であり、
体罰と言う言葉さえ無かった時代だから、
一人辞め二人辞めと夏休みが終わる頃は、
勇んで行った連中も退部していた事を覚えている。
全国上位を狙う学校は、
どこの学校でも同じ様な過酷な状況だったと聞くが、
同級生からの話でも、その練習を含めた環境(寮生活や遠征)は、
虎の穴(アニメ、タイガーマスク)に匹敵すると言っていた。
今でこそ笑い話だが、そのような時代に
現在自身が指導している母校に入部したのが、この指導者である。
昨今は先人達が全国に散らばり、子供達を指導するようになった為、
いわゆるキッズ上がりの生徒が中学/高校でも活躍しているのだが、
当時は高校から始める生徒が多勢であり、
現監督も高校から始めたが、練習について行くのが精一杯で
厳しくおぞましい練習だったと聞く。
時は流れ、自身の努力で大学日本一になり、
教員資格も取得した後に母校に教員として就任する傍ら、
前監督のサポート役として母校のコーチにも就任したが、
大学日本一となるとオリンピックを目指す有望選手である為、
生徒のコーチ業、教員、そしてオリンピックを目指す選手として、
2足どころが3足の草鞋を履きながらの想像を超える多忙さだったと聞く。
そんな教員生活が始まった早々(始業式の日から数日後)になんと、
前監督が突然職を辞してしまった。
伝統ある学校の教員、更に部のコーチになって間もない22歳の青年が背負うには
あまりにも大きな責任だった。
生徒から見たら、いくら教員(コーチ)と言っても、
年齢もいくらも違わず、要は先生と言うより先輩であり、
教員としてもなりたてで、ましてや前任の突然退職により、
ろくに引継ぎすらしていない状況。
自身もオリンピックを目指そうとしていた訳だから、
突然、今日から監督だと言われてもピンとこない。
預けられた生徒への責任感と自身のオリンピック出場を
目指すのかの葛藤もあり、長い時間悩んだと言う。
裏話ではないのだが、高校3年ともなれば、
3月の全国選抜大会(この時期は2年生)での成績次第で
6月頃には既に進学先が決まっている状況なのだが、
引継ぎのない状況で22歳の若造監督を
まともに相手にしてくれる大学は皆無で、
必死に生徒の進路先を模索したのだと言う。
この話を聞いた時は、正に「運命」としか言えないと感じたのだが、
私が22歳の頃を考えたら、とてつもなく大きな壁であり、
避けても避けても迫りくる大波に連続して襲われる程の状況ではなかったと想像する。
指導方針にしても、自分が教わった過去を思い出し、
練習メニューを考え、寝る間も惜しんで突っ走ったと言うが、
OB達(前監督の教え子)は、
教員であり母校の現監督である自分達の後輩が苦しんでいる状況でも
他人事の様に指導方法が悪いだの、
その教え方だと選手は伸びないと罵倒や陰口を叩いたと言う。
どこの世界でもいるが、普段は顔も出さないが、
トラブルや揉め事があると見にくる輩がいる。
火事場の見物人ならまだましだが、
そんな状況に輪を掛ける様に罵倒し、何もしない無責任な輩だったのだ。
そんな輩が先輩顔してあ~だこ~だと言う暇があるのなら、
率先して活動をフォローするのがOBの努めだと思うのだが、
残念な事にこの頃のOBは前監督の教え子であり、
道徳も足りない方々だったようだ。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、
「道徳」を持った数少ないOBの方々が下支えをし、
インターハイ連続出場の記録を伸ばし続けたのだが・・・
続く・・・・
中村