体現
例年以上に寒かった冬から春へと季節も移り、
桜も開花しだしたこの頃だが、
昨年の桜の季節からもう1年が経過したのかと改めて思う。
正確には、早く感じると言う事だろうが、人生70年で考えれば、
桜を見れるのも後20数回程度。
改めて思えば、残りの時間も働ける時間も無限ではなく、
時間の使い方を考えるようになった。
これまでも時間を無駄に浪費している訳ではなく、
20年前より、10年前より、数年前よりの自分と今の自分を
客観的に見れば、多少の精神的成長を感じつつ、
人の想いや状況を以前より感じる事が
出来るようになったと思うのだが。
まあ、一言でいえば「理解」と言う事になるが、
なによりこの「理解」の使い所を考えるようになった。
一般的には「理解」=「良い人」と捉えられる傾向にあるが、
この「理解」は使い方を間違えれば、
人を甘かせ、駄目にしてしまい、使い方によっては人助けにもなる。
これまで携わったり、関係した方々や家族も同様だが、
一生を面倒見れるのなら、その理解も多少の甘やかしも
許されるが、大勢の方々を面倒を見れる資産も財産もない。
ましてや、人の人生に影響を与え、余計な環境を提供する程、
おこがましい事はないと考える。
環境などは人生を考えれば、数年毎に変化し、
20年も経過したら劇的に変わっている場合が多い。
日々少しづつ変化しているから感じないが、
20年前の状態と今を比べたら、家族や友人、同僚との人間関係も変わり、
住まいや経済状況も、仕事の環境も良い悪いを問わず、変化している。
その中で数年前より「考え方」や「捉え方」がどう変わったのか、
鑑みる事は大事ではなかろうか。
往々にして、経済状態だけを見て、
良い人生だ!幸せだ!との考える価値観がある。
それも一つである事は間違いないが、昨日の自分より成長した自分がいる事も
良い人生を歩んでいる事だと実感してほしい。
高齢化に伴い、以前より電車の中や大塚周辺でも、
お年寄りを見掛ける機会が増えたが、
ふとした動作や顔つきを見れば、その方の人生が滲み出ている。
老化に伴い、それまでは不自由なかった事に怒りを覚えたり、
疑心暗鬼になったりと言う方がいる一方で、
車中でにっこりとした笑顔で、佇むご老人もいる。
人生は表情に現れると、しみじみ感じる。
「全ての事象は自分の心の反映である」との如く、
今を受け入れ、素直に生きているから、
表情も柔らかく、穏やかなのだろうと
勝手に想像している。
少しでも長生きして、道徳の体現を多くの方々に見せて頂きたいと願う。
愚痴や不満は一時の憂さ晴らしに過ぎず、
虚しさだけの空虚な人生は、歩みたくない。
「いつも明るく前向きに、希望を抱いて素直な心で」
写真はJR大塚駅 空蝉橋(うつせみばし)付近の桜です!(撮影2013.3.22)
中村