春
卒業シーズンが終わり、企業や学校は新しい年度に変わり、
予想以上に早く開花した桜も葉が出始め、
新しい息吹を感じさせる春が到来した。
以前も書いたと記憶しているが、
私はこの季節が一年で一番好きだ。
花粉症になってからは、多少の煩わしさはあるが、
それでも穏やかに流れる風を感じ、
新緑を目にし、何より寒さから解放される気候により、
かじかんでいた姿勢も何故か凛とした気分になる。
日差しも柔らかく、冬の刺さる様な日差しや夏の痛い日差しとは明らかに違う、
何とも言えないやさしい日差しが心地よい。
いつまでもこの季節が続いてくれたらと思うが、
寒さが沁みる冬や蒸し暑い夏を経験しているから、
この時節のやさしさを感じるのだと思う。
常にこの気候なら、この穏やかな春をやさしいと感じる事もなく、
当たり前の日常と捉えているだろう。
強弱や浮き沈みがあるから、反省や感謝の心が生まれる、
人生の様だと思うのは私だけだろうか。
スポーツに励む人間は、負けを知っているからこそ、
二度と負けたくないと厳しい練習にも耐え、更なる上を目指すのだろう。
そして勝つ事の喜びはもちろんの事、指導者や周りに感謝する心が生まれる。
これはスポーツに限らず、受験だろうが就活だろうが関係なく、
それまでの努力が報われると言う事であって、
努力もなく、楽な道を選択していたら
やがては、いばらの道になる。
何もいばらの人生が悪いと言っているのではない。
人は誰でも失敗や過去を悔いる事など、てんこ盛りな人生。
駄目なのは、その失敗を感じない事であり、
同じ間違いを繰り返す事である。
一度や二度の失敗なんて経験であり、先に繋がる糧である。
しかし、その糧が増えれば溜まり過ぎて消化出来なくなる。
そこには「ほど」や「程度」がある。
何事も「過ぎたれば及ばざるが如し」で、過ぎるのは良くない。
先人の諺は、まったくもって正しいと改めて思うのであった。
写真は会社近くの公園の「染井吉野」
写真は会社の庭の「山桜」
桜の写真を撮っていて、小学生の時の担任がした話を思い出しました。
担任自身が小学生の頃、先生に付けたニックネーム(なだ名)が「山桜」。
それには理由があり、
「染井吉野」は、「花」が先(前)で、後から「葉」
一方「山桜」は、「葉」が先(出)で、後から「花」
「」内の漢字をひらがなに置き換えて考えると、理由が分かります。
人生の先人はユーモアも深い・・・
中村